洋  燈  の  あ  か  り   
昭和和52年から55年(1977−1980)にかけて、生徒達が提出する学級日誌の空欄に、処かまわず書きなぐった内容を、その時から30年近く経って、ふと再読してみて、それぞれ加筆したものです。「あかり1」と同様、普遍性とはおよそ縁遠い、独り言です。









hokuto77




<目   次>

しぐれ   雨の日の出来事 秋刀魚 広角レンズ
<続    く>























           し ぐ れ
 

「秋雨」の後に「時雨」が来る。「定型」の季語の移りである。前者には、秋雨前線という、どことなく不穏でぎこちない造語しかないようだ。後者は、芭蕉忌の別称、時雨忌が、あの辞世の句を呼び覚まし、納得のいく落ち着きを与えてくれる。両者は、このように定型の世界では、秋と冬に隔てられているが、興味深いことに、「時雨の秋」という表現を知った。広辞苑を手掛かりに調べて見ると、万葉集第13巻の3324番 挽歌に、
『・・・ 九月の しぐれの秋は 大殿の 砌しみみに 露負いて 靡ける芽子を
  玉たすき 懸けて偲はし ・・・  ( 読人知らず』とある。

 万葉の季節は、今よりもっと自然が雄大で、緑はあくまでも濃く、降る雨も、排気ガスや煙突の煙などはもちろん無く、濡れてよし、そのまま飲んでよし。四季の推移は、鮮明であったはずである。ライフスタイルもそれに呼応していたに違いない。紅葉は目も覚める彩りで、黄葉のもたらす季節感はおおらかそのものであったであろう。人々はしぐれる度に、木々の黄色を今以上に待ち望んだと想像される。
 秋から冬にかけての、二つの雨が混然とした時季に、今もなお、日本の季節の移ろいの特色がある。しぐれの語感には、秋雨の果たし切らなかった秋の名残を込めたところがあるように思えてならない。「秋雨」を秘かに「しぐれ」と読むことにする。万葉人に感謝しなくてはならない。ここから日本人の情感の豊かさが生まれたのであろう。後世の俳句の領域で、境目の判然としないこの時期の雨を、通り過ぎる雨→しぐれ(時雨)を冬に入れたのは、万葉人の心を汲み取っていない。「しぐれ」は独立していないで、万葉では、「しぐれる雨」という表現が多発する。温暖化もない秋の中頃の雨に、異常な降雨はなかったということであろう。陰暦9月に降る雨は、総じてしぐれる降り方であった。そうなると、引き合いに出した挽歌の、「しぐれの秋は」も、きわめて自然な表現になる。挽歌を冗談交じりに詠む人はいない。そして、山頭火のあの自嘲的なつぶやき、「うしろ姿のしぐれてゆくか」:その重みに沈み込むことになる。

                       (昭和52年 1977)



































              
雨の日の出来事

 11月の雨の中を独り、歩くともなく歩いていると、ふと思いがけなく、美しい女性とすれちがう。そのようなことは、上古の時代からあった。様々に形容される雨が、歴史の中を降り続いてきた。そして、霧雨、細雨、粉糠雨、五月雨、驟雨、通り雨、にわか雨、濁り雨、秋雨、時雨と、まだまだ枚挙にいとまがない。雨は、日本の自然に溶け込んで、人々の生活の綾を織りなす。それぞれの雨に、それぞれの女性を登場させる。その時小説が生まれ、短歌、俳句が詠まれ、竹久夢二の絵が浮かぶ。日本人の情感の豊さ 雨は我々の、折々の心を反映する。演歌に、雨の歌詞の多いことを非難するのは止めたい。

元来そうであるべき11月の雨に、今年はなぜこうも親しみを感じないのであろうか。昨年の11月も終わりの頃、故郷の山口県で出会った雨は、まるで冬の、名もない半島に降りそそぐような雨であった。その時、父はすでに、癌に冒されていた。父が他界して一年経つが、今年の雨もひたすら寒々としている。

フランス映画、「雨の日の出来事」を観る。ヨーロッパの古都に降る雨を、街路でカメラに入れる。この映画は、部屋の窓越しに、激しく街路にたたきつける雨を映す。窓ガラスに雨がしたたる。部屋の女性の横顔がある。後ろ姿がある。日本の映画にはない雨となる。その雨の中を、その部屋で、その女性はレイプされる。日本の映画ではなかなか見られない冒頭である。総じて日本の映画の雨はまずい。その原因はどこにあるのだろうか。

 小中学生の 一茶まつりに、「梅雨の町 野良犬角を 曲りけり」という句があった。犬が視界から消えた時、少年の目は犬にあるのか、雨にあるのか。少年の脳裏の梅雨の中に残影として犬がいるとすれば、前者になり、犬が立ち去ると同時に、その姿も脳裏から消えれば、少年はひたすら、降りしきる雨に見入っている。この街角をどんな街角にするか。日本の映画であれば、まずい画面になるだろう。雨に対する日本人の心情を、絵画的に汲み取る感性が不足しているからであろう。

   (昭和52年 1977)

























             秋 刀 魚

 「もう秋ですねー」と交わせば、秋刀魚が浮かぶ。そろそろ店頭に並んでもよい。ここにも二百海里の問題が影響しているのだろうか。

演歌 「北の漁場」で 「・・・銭のおもさを 数えても 帰るあてはない

二百をぎりぎりに 網をかけてゆく・・・」新宿コマ劇場の舞台で、動く漁船に乗った北島三郎さんが勇壮に歌い上げる。海と魚に賭ける男の情熱、ロマンを詠った、新條カオル氏の傑作である。

 魚と言えば、この漢字を、子供たちに「うお」としか、音読させないことになったらしいと耳にして、そんな馬鹿な、それが事実であれば、一体どうしたことかと、どうにも納得がゆかないことになる。聞き間違いであることをひたすら願い、案外、理由は単純で、酒の「肴」と紛らわしいということかもしれないなどと、邪推したが、何ともさもしいことだ。

「さかな」という音の響きの中には、長い、長い年月の日本人の食生活の重い実感がある。広辞苑で引いて見る。さかな の項目に B(「魚」と書く)(食用の)うお。魚類。「━を釣る」「白身の━」と載せている。━を決して「うお」と発音させまいとする。信じがたいことだが、この定義の仕様で、両方の懸案が一気に解決することになる。

長い歴史のある慣用を、ある意図をもって捻じ曲げるのは、日本語を長い目で見ていない、あるいは、見ることの出来ない思考の現れである。いずれ日本語は乱れ切ることになる。言語の乱れが民族の乱れに通じるのは、必至である。外来語の生の表現を排除しよう、すべてを日本語に置き換えようとする動きもあるようだ。携帯を止めて、忍者や飛脚を走らせる暴挙にでるのか。外来語の氾濫という、このまま放置すれば、日本語が失われるというのであろう。その人たちは、インドヨーロッパ語族という、互いに言葉を受け取り合っている広域な言語圏の存在と、それぞれの独自の言語、民族性、豊かな文化の展開を知らないのであろう。知ってはいるが、日本語は違うのだと鎖国的になる。日本人がバイリンガル民族になれば、民族性や民族そのものが消滅すると本気で思い込んでいる集団もあるらしい。気の毒な限りだ。比較対照によって、互いの言語の特色が一層際立つ。日本人としての意識は更に強まる。昔、他国に侵略して、相手に日本語を押しつけた後ろめたさが、反面教師になっているのだろう。マスコミが掲載しても、若い世代は、マジかよ、正気の沙汰かよと、あきれ返って歯牙にもかけない。その点では、彼等の方が、遥か先を見つめている。外来語の氾濫は、それだけ地球が狭くなり、文化、経済が行きかっていることの証明で、日本もその交流の渦に、取り残されることなく、巻き込まれて喜ばしいことではないか・・・渦をどう泳ぎ切るのかは、言語の次元ではない。ご老体達は何を血迷っているのだろう。話は長引くが、世界を席巻している英語などは、ラテン、フランス、ドイツ、イタリア、ロシア、日本語等々、飲み込める限り飲み込んだ怪物であるが、それでいて毅然として異彩を放っている。

 母の介護で宮崎から山口へ単身赴任していて、面白いことに気づいた。ケーブルテレビの昼の番組に、「Infoやまぐち」というのがある。山口市の情報ということのようだ。NHKには、「ぶちインターナショナル」というのがあった。ぶちはこの地方の、接頭辞の方言で、強調する。ぶち飲むと言えば、激しく飲む。和洋折衷の21世紀版というところ。

最近は、電気製品の発達のおかげで、魚をオーブンで蒸し焼きにする。そうしないのは、貧しいとか、時代遅れだとの錯覚に陥っているきらいがある。
 魚はやはり、特に秋刀魚は、七輪の上に乗せ、木炭を使い、更に渋うちわで扇ぎながら焼くのがもっとも味がよい。しかも、あぶらが炭火にしたたる音が絶妙である。これが古くからの生活の知恵である。電子技術がその知恵をこわす。魚の味をこわす。ついには、秋をもこわしかねない。
 古くから、我々の動物性蛋白質は魚類に支えられてきた。日本近海の魚の種類は豊富である。その料理の方法も万化する。種類が異なれば、味も異なる。それを料理法が加速する。濃密なレシピ(recipe)に長い歴史が磨きをかけてきた。我々の味覚がますます鋭くなる道理である。この魚を安心して食せる自然はどうあっても確保し、なんとしてでも維持しなくてはと心が逸る。若い人達が、漁師に、漁場に、魅力を感じる間は、日本はまだ大丈夫であろう。貴重なバロメーターの一つではないだろうか。

 米国の狂牛病の発生で、色々あった末に、牛丼吉野家に長蛇の列ができたことがあった。魚離れである。ところが、3人に1人は癌で死亡と情報が流れる時に、癌は予防できるとして、その望ましい食生活の中に、何故か、獣類の肉は上がってこない。以前、英国から来ていた若い女性に、何故ヴェジタリアンなのですかと、下手な英語で尋ねたら、They have hearts. が帰ってきた。魚にも豊かな感情があるのだろうが、個性を感じることはできない。しかし魚を食す時は、感謝の心が欠かせないだろう。

 魚には和服がよい。これは自然である。和服で牛さんを食す、風刺にはなっても、絵にはならないだろう。魚も自然の一部であれば、旬を免れない。四季それぞれの和服が四季それぞれの魚を味わう。人生は生きる価値があるとしみじみ思わざるをえない。

  (昭和52年 1977)

























広 角 レ ン ズ

 「freedom of speech」 ━ 人類にとって万感の重みを持つこの表現を、担当している生徒達が、「演説の自由」、「言語の自由」、「言葉の自由」など、近いようだが、ピントのはずれた日本語に置き換える。そのような読み、解釈力しか付けていなかったかと、思わず、愕然とした。この力では、とても大学入試に太刀打ち出来ない、そうなれば・・・世俗のしがらみが湧いて来る。生徒を非難するべきではないと、焦りながら思わず教卓の上をうろうろしてしまった。落ち着いて考えてみれば、彼らがこの世に生れ出た時には、すでに、「言論の自由」を国民が浴びすぎていて、少しは、制限でもしなくてはいけないなどという、恐るべき暴言が、ちらほらと聞かれる時期だったのである。

 目前の彼らが高等学校を卒業する迄には、日本国民が、「言論の自由」を得るに至った経緯を、そしてそれを得るために失った大きな代価を学習するはずである。それがあくまでも、単なる一片の知識として、引出しの奥にしまいこまれた状態のままであろうとの危惧が強まる。

 日本でも、ある地方ではまだ石炭を採掘している。その一つに北海道夕張炭田がある。九州の炭田を中心にして、日本の大多数の炭鉱は二度と使用不可能な状態で廃坑にされているという。

時が過ぎ、その夕張が、日本で初めて、不名誉なことに、自治体として財政破綻をしたことは、痛恨の極みである。それは炭田の存続を長めたこととは直接の関係はないものと信じたい。

以下、ネット上の情報を蛇足にして読むことにする。 ・・・・・

「北海道の夕張市が破産しました。・・・財政再建団体になることを国に申請します。財政再建団体とは、毎年借金が膨れ上がり、借入れを返済するためにさらに借金を繰り返すといういわゆる自転車操業を続けてきたけれども、・・・膨大な赤字を自分たちの力ではどうすることもできなくなってしまったので、・・・ 今後、夕張市は国の管理下で・・・財政再建を目指します。」 ・・・・・

 新聞などによると、英国や西独では、将来また利用できる処置を施しているそうである。日本のそれとの違いを生んでいる根源は何処にあるのか。民族の違いといったものだけではないだろう。

 元来、我々には、本当の意味での自由を希求する特質がないのかもしれない。歴史の周期、個人、その意識が漠然としているのかもしれない。いずれも主観的な推測であるが・・・。石油の後に、石炭を使用することは二度とないものと我々は考える。ところが、西洋では、そういう時も必ず来るだろうと考えている。

 「自由」という概念は、もともと、古代ギリシャから、西洋のものであろう。

歴史と己の目が覚めている彼等は、常に自らの力で自由を勝ち取ってきた。欧米の歴史は「自由」を勝ち取るそれである。遡れば、遠く「神」(God)との関係において、自由意思free willに則って来た。明治維新さえも、「個人の自由」をスローガンにしたものではなかった。臣民意識が根付いていた。三十数年前に、自由の大先達達から分けてもらった「自由」をもてあまし気味なところがある。

 我々は、広角レンズで物を見ることが少々苦手ではないのか。「展望」という言葉は頻繁に使用するが、それを開くことはどうも得意ではない。「遠い祖先が展望のきく海を渡って、列島に定住するけれども、島国の自然は展望がきかない。しかし、一度捨てた国へ、再び展望のきく海を渡って帰る気力はなかった。」このように考えるとその理由もうなずける。

 島国の地理的な特性に加えて、我々には、東洋的な自然観がしみついている。西洋人は自然と己を切り離す。あくまでも、己を確立しようとする。それは己の自由を手に入れることでもある。東洋人は自然への没入を志向する。自然の懐に入って没我となる。自然を詠む俳句の原点でもある。仲間同士で我を張ることは得意であっても、己の自由を強く主張するはずがなかろう。自然は懐が広く奥があると思うから、広角レンズを自然に預ける。西洋人は常に自由と己にさめているから、広角レンズを己がもって自然を観る。自然科学の原点でもある。卑見では、ここに例の石炭の処置の違いが生じた。さらに、インドヨーロッパ語族の言語構造と日本語のそれは、相容れない。合理性、合理的思考においては向こうに及ばない。共産圏は個人の自由を圧殺しているが、いずれは、何世紀も経てば、子孫は完全な自由を得るのだと、その主義で信じている。さらに地球が狭くなれば、我々の自然観も変化を受けるであろうが、将来「自由」のために血を流してでも闘うことがある時、今のそれは、足を引っ張ることになるかもしれない。

      (昭和52年  1977)

(続く)