長 崎 の 三 千 代

                      高 沢 圭 史(HOKUTO77)







  梗    概

長崎大学経済学部の四年生、美千代は、行きつけのスナックで知り合った妻子ある中年の男性と恋に陥り、これは宿命的な出会いなのだと信じるその男性から感化を受けて、反核、反戦の草の根運動に、尊敬する教授の紹介で参加する彼女は二人の愛の結晶を密かに出産しようと決意するのだが、、、。 




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  章 目 次

 (一)誘 い  (二)秋本教授   (三)原爆投下
(四)周一の涙/草の根運動   (五)広島・初体験  (六)卒 論
 七)山陰・故郷の雪  (八)周一が海外へ  (九)長崎を去る































                             
 (一)誘 い

 五月の夜を吹き抜ける風に,肩までかかる黒髪をなびかせて,学生アパートの階段を登り詰め,1DKの部屋に落ち着いた後も,速見三千代の結論は出なかった。
 どんなつもりで誘ったのか。いくら水割りの勢いだといっても,一,二度出逢ったぐらいで男女の関係から誘いをかけるような人だとは思えない。若い社員達と飲むことが好きなようだが,むしろ分別のある重厚な人物だと,第一印象で受け取ったくらいである。三千代は,佐山周一に初めて出逢った夜の情景を思い描いた。
 先月の中旬,国際経済研究のゼミナール、新入会員歓迎会の二次会の後で,いつものように,彼女はキャンパス近くの新大工町にある、小さなスナックリエで一人になっていた。彼女は,日本海に面した中国地方の高校の恩師が勧めるままに,長崎大学の経済学部を受験した。その日から足掛け四年の間,カラオケを備えたスナックには、一度も足を踏み入れたことがない。それほどのカラオケ嫌いである。
  
<旧制長崎高商研究会館>
 その歓迎会の夜も,ゼミの男子学生達は,やや小麦色の面長な紅一点の三千代をリエに見送っておいて,カラオケ目がけて路面電車で思案橋通りへ、勢いよく繰り出して行った。三千代とリエのママのあき子とは,初めて長崎に着いた夜,他郷での不安を和らげようと,リエに入って以来の付き合いである。あき子はその歓迎会の夜も,彼女にゆっくりくつろぐようにと勧めてくれた。
 リクエストしておいたワルター指揮の『田園』が流れ始めた時,長身の男性が入って来た。
「いらっしゃい。佐山さん,今晩はお一人ですの。」
「今日は,はぐれ鳥になってしまってね。若い諸君がどうしても、カラオケで歌うと言うんで,ママの所へ逃げ込んで来たよ。『田園』は何時聴いてもいいね。」
 カラオケが苦手だと聞いて,三千代はその長身の男性を興味深く眺めた。あき子と彼との会話から,リエの常連で,しかも若い人達と連れ立ってやってくるのだとの察しがついたが,その時初めて彼の存在を知ったのは,遅すぎた方かもしれない。「佐山さん,三田建設の佐山班は、お酒の好きな人達ばかりだとの評判だそうですよ」「仕事もバリバリするという表の評判は,ママの所までは届かないようだね。」
 三千代はゼミでの研究活動の一つとして,旧制長崎高商の出身者達が活躍しているところが中心であったが,日本を代表する企業を幾つも訪問している。佐山と呼ばれる、このよく響くバリトンの持ち主は,そのような大企業で働くエリート社員とはかなり違う,くだけた雰囲気が漂っているとの印象を受けた。しかもそのくだけ方には,嫌みや衒いが感じられなく,ごく自然であった。側にいて安らぎを感じさせてくれる人だと思った。
「カラオケのない店は落ち着けますね。」
 佐山は三千代にも話掛けるような口振りをした。
「あら,佐山さんは,実は能ある鷹だって,若い人達がうわさしていましたよ。」
「ママさん,私は能がまったくない,ただの流れ鳥だから,何時もここで終わるのよ。思案橋の方に、カラオケのないお店はないんでしょう。」
 この時,佐山の表情が一瞬和らいだことを記憶している。
「能があってもなくても,タカがトンビになれないところが悲劇的だね。」
佐山はブランデ−の水割りをぐっと流し込みながら,あき子に向かってやや自嘲的に,不可解な返事をしておいて,三千代にもそれとなく念を押してきた。
「長崎の方ではないようですね。」
「ええ。もう一度春が来れば,ここを離れることになります。」
 その時の,長崎を離れるという気持ちは,一ヶ月経った今も変わらないと,彼女はアパ−トの薄いベニヤの天井に見入って,しっかりうなずいた。
 佐山周一との初対面は,彼女に爽やかな印象を残していた。そして,つい先程の,今から三時間程前の,二度目の出逢いが予期しない形で実現した。それは,ごく自然な成り行きであったのだが,三千代は,二度目のその出逢いを,詳しく反すうしてみた。
 秋本教授との卒業論文のテーマの打ち合わせが,思いどおりに進展していなかったが,ようやくその方向づけが出来た。企業の多国籍化現象と、自由主義経済圏の資本の提携増加,これらを基調にして,アメリカの企業を中心にした国際経済、今後の方向を探りながら低迷する日本経済の活路を研究する。漠然としてテーマが大きすぎるのではないかと,やや不安ではあったが,とにかく大筋を決めないことには,いたずらに時を無駄にするとの焦りも加わり,三千代も納得した。
 秋本教授からゴーサインをもらって,来年の春は長崎を離れる見通しがたってきたので,少々一人きりの羽目でもはずしてみようと,四月の歓迎会以来,無沙汰続きのスナックリエに出掛けて来た。
「ずいぶんになるわねえ。全然顔を見せてくれないから,心配していたのよ。」
「ママさん,お久しぶり。いろいろ取り込んでいたのよ。四年生には野暮なのがあるでしょう。私なんかが何をどう論じたところで,誰も見向きもしないし,喜びもしないのに,そのテーマを決めるだけで,ゴタゴタして大変なのよ。」
「あらそう。でもなんだか三千代さんは,楽しそうじゃないの。あなた,自信があるんでしょう。きっとそうよ。それで,今夜はまだ全然飲んでいないんでしょう。何時ものでよいのかしら。それとも,たまには変えてみる。」
「そうね。記念すべき日ではあるし,少々奮発しようかしら。レミーのXOを生でいただくわ。」
「そうそう。三千代さん,佐山さんのことを覚えているでしょう。ほら,四月の始めに、ここでお逢いしたでしょう。『田園』を聴いた日よ。三田建設の長身のあの人よ。なんだか,あなたとゆっくりお逢いしたいような口振りだったわよ。」
 佐山周一の印象は鮮明である。しかし,ここであき子にそれを悟られるのはまずいと直感した。
「ええ。そう言えば,長身の男性にお逢いしたわね。あの方は単身赴任なんでしょう。マスコミも取り上げているみたいだけど,単身赴任は大変なんですってね。ここによくお見えになるんでしょう。」「三千代さん,今夜はその佐山さんが見えるはずよ。ちょうどよかったわ。ゆっくりしていらっしゃい。」
 単身赴任を苦にしないような,単身赴任ではないような,らい落なところのある人だわと,三千代は佐山周一のそこにも好後はを感を抱いている。
 美千代の後を追うようにして、よく響くバリトンだと,彼女が初めてその声を耳にした時と同じ響きが,たいして広くもない店内にこだまして,その佐山周一が入って来た。
「今晩は。お待ちしておりましたわ。カウンターへどうぞ。」
「ありがとう。約束を必ず守るのが,中年のバイブルだからね。」
「それは,それは,どうもありがとうございます。お隣の女性を覚えていらっしゃるでしょう。あの時の速見三千代さんですよ。」
 佐山と切れ長の三千代の視線が一瞬絡み合った。あき子はミネラルの栓を開けるために,その一瞬を見落とした。
「今夜もお一人ですか。」
「ええ。やっと一区切りついたものですから。」
「ママからよくあなたのおうわさを聞きましたよ。それほど足しげく,僕がここにやって来たことになりますが。」
「本社にお帰りになられることも多いんでしょう。私は卒論の資料集めで,夏の間に一度上京することにしています。」
 あき子が夫々に、生と水割り要のボトルをを差し出した。
「お二人とも、なんだか二回目の出逢いとは思えないわねえ。佐山さん,私には内緒にしていらっしゃったんでしょう。」
 佐山はどういうわけか,ブランデーを一口あおって,ちょっと苦笑しただけで,あき子の冗談めいた咎めを否定しなかった。
「ママさん,今,私の卒論の話をしていたのよ。怪しくともなんともないわ。」
 あき子はうなずいて,つまみの準備に取り掛かった。
「ママ,若いというのは、それだけでもすばらしいことだね。僕のような年になれば卒論など,はるかなる国,遠い昔に置き忘れてきた感が強いね。思い起こすには,強烈な水割りの追加が何杯も必要だね。」
「佐山さん,ご専攻は何をなさいましたの。」
 三千代は、彼の出身は自分と同じ、経済系だろうと予想していた。
「いや,あなたのような今の大学の人達に、これこれだと言えるようなものではありませんよ。僕の大学はマンモスでしたが,今はどうかわかりませんが,大らかそのものでしたね。あなたのは、何だか専門的なようですね。東京に出られる時は連絡して下さい。場合によっては僕もご一緒して、お手伝い出来るかもしれません。」
レミーのXOが効いてきたのか,佐山の申し出も唐突だったが,卒論の資料の一部を佐山さんの助言に頼ってもよいわという気がしてきた。
 あき子に見送られた後で,一緒に五月の夜を散歩しようと申しでてきた佐山と並んで歩きながら,これは一区切りついた日の続きなのだと,自分を納得させた。
     
 その時,郷里の家の庭にあるユスラウメの実の赤みが脳裏に浮かんで来た。彼女が小さい時,母の止めるのも聞かないで,その木に梯子をかけて,もいでは食べ,もいでは食べたふっくら丸い実が、幾つも幾つも、次々に現れては消えていった。そして電車通りで別れる時に,佐山から、八月の最初の週末に、商用で鹿児島に行く予定だが,よかったら一緒に桜島でも見物しないかと誘われた。
 三千代は、佐山周一との二回の出逢いを詳しく回想してきて,ふと『それから』の『三千代』のことを考えた。
 高校二年生の春,文学の好きな級友から知らされたことがある。それは彼女の名前が漱石の『それから』に登場するヒロインの名前とまったく同じであるということだった。級友の勧めるままに『それから』を読んで,父と母に『それから』のことを尋ねてみたところ,二人ともまったく知らないということであった。
 『それから』を読んだ後は,ひょっとして,『三千代』に近いような男女の結ばれ方を、自分がするのではないだろうかと思うようになった。
 大学の四年生にもなったのに,相手の心が読み取れないで,このように考え続けるのは,佐山さんと『三千代』的な出逢いをしてしまったからではないだろうかと,遠い日本海の高校時代に思いを馳せた。しかし,彼から受けた鹿児島への誘いの真意は,その夜はついに五月の闇に溶け込んでしまった。
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 (二)秋本教授 

 「三田建設は上向いて来ましたね。大したものですよ。」
 「やあ,これは,秋本先生,こんな場所でこんな雨の夜,先生にお目にかかれるとは光栄です。」
 三千代は我が目と耳を疑った。スナックリエの化粧室から出ると,秋本教授と佐山周一が親しそうに語り合っていた。三田建設の若い社員達とゼミの男子学生達は互いに初対面のようであったが,彼らもグラスを傾け合っていた。
 佐山周一に,二度目に出逢った翌週のゼミの発表で,三千代が投げかけた極最新のアメリカの自動車業界の, 対日関係と欧州での動きと問題点には,秋本教授さえも、目を見張るものがあった。彼女の発表内容には,創造性に富んでいるとは言えないが,他の学生達が一目置くほどの分析力と素材の新鮮味がある。
 国際経済研究のゼミでは,外国語の論文や文献を早く入手しなくてはならない。三千代には,学部の図書館に入る英米の経済関係のウィークリーやマンスリーを,他の学生達に先がけて通読する英語力がある。秋本教授もこの点に関して,三千代を誰よりも高く評価している。英語は得意ではないが,多分にひとりよがりではあるけれども,三千代が考えもつかない斬新な仮説を立てて,論旨を展開してくる学生もいる。彼女はそれをうらやましく思いながらも,それなりの語学の才能は,その代償なのだろうかと,自分をなぐさめてみる。
 秋本教授はすでに、定年退官直前だが,学生達の研究活動には強い関心を寄せてくれる。この大学の近代経済学本流の学者として,かっては,九大のマルクス系の教授と並んで,西日本経済学界の中心的な存在として活躍した実績もあり,地方紙に経済評論を連載している。
 その日は,三千代達の研究発表が一段落したところで,どういうつもりか,秋本教授自らが,今日は六時に例の場所に飲みに行こうと、学生達に提案してきた。長崎もすでに梅雨に入っていて,このところ連日の雨である。学生達は思わず,ゼミの研究室の窓外に視線を走らせた。ゼミの始まった時よりも,雨足は激しさを増している。秋本教授はさらに,今夜は新大工町はおろか,思案橋まで繰り出して行こうとつけ加えて,三千代達をあぜんとさせてしまった。
 
<思案橋飲み屋街>
 学生達は,誰かの研究発表が大層気に入ったのだと直感した。発表者達はそれぞれ,秋本教授は,自分の発表を気に入ってくれたのだと思い,どの学生も,秋本教授一人と、彼等団体と五分五分の割り勘だと安心した。
 国際経済研究のゼミナールは,激しい雨の中を,その日も何時もの手順を踏んで、スナックリエにたどり着いた。そして,三千代が化粧室に入っている間に,同じ雨の中を,三田建設の若い社員達も,佐山周一を囲んで,スナックリエに入ってきた。 秋本教授は,化粧室から出てきたばかりの三千代を,彼と佐山との間に座られせておいて,ゼミの紅一点だと紹介した。これは一体どうしたことだろうかと,彼女はつい一週間前の,佐山からの誘いを思い出したのだが,思わず口に出ていた。「はじめまして。速見です。」
 佐山は照れた様子もなく,三千代に合わせた名乗りをあげておいて,いつものブランデーを,こ気味よく、ぐいと飲み干した。
 秋本教授は佐山に向かって,彼女の語学力とゼミでの積極的な発表を誉め,佐山は三田建設の長崎支社にも,そのような語学の堪能な人材が、多数必要であることを力説して,秋本教授の来年の進退を伺った。二人の会話は長く続く気配であったが,三千代は,いつもよりもアルコールが入り過ぎており,佐山の横顔にもその気があると判断して,今夜は二人きりにならない方がよいと考えた。ママのあき子が,佐山の方を目で指しながら,三千代と彼との間にある心の動きを見抜いているような口振りで,しきりに引き止めた。佐山に必ず手渡してくれるようにと,あき子にメモをあずけておいて,彼女はヘッドライトも霞む雨の中に消えた。

 「やあ,お待たせ。久し振りの晴れ間ですね。この前,リエでお逢いした夜はひどかった。」
「ほんとに。佐山さんありがとうございます。お忙しい中を来ていただいて。」
「いやあ。あなたのメモをママからもらってからは,どういうわけか、気分の爽快な日が続いています。僕はこの店は初めてだな。なかなか,凝ったインテリアですね。そう言えば,この辺りの街並全体が,なんとなくアンティ−クな雰囲気を漂わせていますね。それに音楽がいいですね。この歳になると、リズム主体の音楽はどうも苦手ですね。」
 三千代は,約束の土曜日は三時半より早めに着くことに決めて,大学から直接,浜の町にある喫茶店アイリスに入った。彼女は,全体がスリムな造りである。肌はやや小麦色で,身長は一六五センチ程度なのだが,長崎の繁華街でも、人目を引く存在である。アイリスの扉を開けた時,彼女に集まった店内の視線は,いつものように,彼女からしばらくのこと離れなかった。その日は,チェックの薄めのワンピースを着ていた。佐山が、三時半にその長身を現わした時,彼女は一瞬ほっとした。
 彼は白皙ではないが,贅肉がないので,年齢よりも相当若く見える。しかも,何かに燃えている人物に特有の,颯爽としたところがある。彼女と佐山が座っている位置からは,眼鏡橋の下を流れる中島川公園が,川向かいの並木の遊歩道のような広々とした眺めとなって映った。    
 
  「佐山さん,秋本先生とはよくお逢いになりますの。この前はびっくりしました。いきなり紹介されたものですから。」
「僕の方こそドギマギしましたよ。三田建設は女たらしだなどと,秋本先生に勘違いされたら,大変なことになりますからね。しかし,あなたもなかなか、おとぼけがお上手でしたよ。」
 佐山は三千代と話しながら,彼の娘ほども年齢の差がある女性に対して,なぜ対等扱いの口調で語ってしまうのだろうかと,彼自身の気持ちを分析してみて,やはりそうだなと合点した。娘のような若い女性を見ているのではない。三千代の中に成熟した女を見ている。言葉では説明のつかない男女の出逢いかもしれない。
「佐山さんこそ,なかなかのものでしたわ。秋本先生とは,企業経営を通じてのお知合いですの。」
「いや,まったく違った分野です。手紙などの時代から通算すれば,二十年近くになるのかな。もっとも,直接お逢いして,親しくお話させていただくようになってからは,まだ三年ぐらいですかね。秋本先生は大学ではどうですか。」
「学生達にとっても人気がおありですわ。きっと,学生の立場でお考えになられるからでしょう。ただ,論理性をあまり追及されないのが物足りないなどと言う,生意気な人達もいますけど。」
 三千代がスパゲティを食べ終わった時,流れる曲が,ドボルザークのチェロ協奏曲に変わるのに気づいた。彼女は,ロストロポービッチの演奏が好きである。桜島に誘われた真意は,次の機会でもいいと思った。佐山と秋本教授の関係に興味が移っていた。
「お尋ねしてもいいかしら。秋本先生とは、どんな方面でのお知合いですの。」
 多くの人たちに知ってもらうことが、佐山周一達の本来の目的でもあるのだが,三千代に語ることには、多少のためらいがあった。
 先程覗いていた晴れ間が,怪しい雲行きに隠されようとしていた。店内には若い層から年配者まで,それぞれに,ここの雰囲気に合った人達がくつろいでいた。ここは落ち着ける場所だと,佐山、改めてアイリスが気に入った。
「僕は東京から来てはおりますが,広島市が出身地です。秋本先生も広島のご出身で,旧制広島高校から,あなたもご存じのように,九州大学の大学院を卒業しておられます。」
 秋本教授の広島出身のことは,三千代はこの時初めて知った。広島での先輩後輩の関係か,県人会での付き合いだろうか。それにしては,絆のようなものが強すぎるようだと思えた。
 佐山は,この先を三千代に話した時,彼女の反応によっては,彼女の存在が、大きく佐山の心を占有してしまうことを覚悟しなくてはならないと思った。自分はそれに耐えきれるだろうが,彼女の心がひたむきに自分に傾いてくれば,それに答える器量は,とても自分にはないだろうと心配した。
 三千代は顔の造作もスリムである。黒い髪を長めに無造作に流し,細面にすっきりした切れ長の瞳でうなずくところは,佐山が遠い昔においてきたものへの、郷愁に近いような,彼の人生の悲哀を埋めてくれるものである。それは,どことなく冷えている彼の妻との心の違和感からは,決して生まれてこないものであると思った。どこの家庭にも,大なり小なり,その程度の夫婦の間の心の襞のすれちがいがあるのは当然だと,認めてはいるのだが,佐山の妻は,彼の仕事外の活動に対して,無関心というよりも,むしろ,うとましく思っている節がある。そのようなことのためにこそ,政治があるのでしょう,というのが彼女の持論である。
 三千代の観察では,佐山はエリートの雰囲気をもっていない。秋本教授にも,大学教授にありがちな,取り澄ました物腰がない。二人に共通した点は,振幅の大きさから生じる大らかさで,他人との間に距離を置かない点であろうと,彼女なりの人物評をした。佐山に倍も年上の年齢を感じないのは何故だろうかと,やや薄暗くしてある照明の中で,彼女はふと,『それから』の『三千代』を思い描いた。その彼女と目を合わせた瞬間,佐山は,先程の話の続きを進めようとする誘惑に,逆らいきる力を失ってしまった。アイリスの外は,怪しい雲行きを通り越して,すでに雨がぱらつき始めていた。
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(三)原爆投下

 「あれは丁度、僕が来年から国民学校の一年生に入学するという時でした。」
 <広島県三次>
  昭和二十年八月。佐山周一の母の里、中国山系の頂点にある小さな町、三次に彼と妹を連れて行って、祖父母に逢っておくのはどうだろうかと、母が父に無理な相談をしていたのがその二日前であった。
 その日はよく晴上がった、無風の真夏の朝を迎えていた。ただ、いつ何時米軍の空襲を告げるサイレンが、佐山達の住んでいる黄金山の麓、本浦町に鳴り響くかも知れないという、太平洋戦争末期の不安は、八月のじりじりと照りつける太陽の光の中にも充満していた。七月の中旬以来、裏庭の桜の大木に蝉が大集結をして、日の出とともに激しい蝉時雨を家の奧まで送りこんでいた。
 午前八時過ぎに、父が勤務先の広島赤十字病院に出勤した後、何時ものように、蝉取用の袋を先端に付けた竹竿を抱えて、桜の大木の下に行こうと、佐山は、妹の手を引いて土間に下り立っていた。その時、真夏の太陽をあざむく閃光が走った。そして彼と妹は、家全体をゆるがす激しい振動によって土間に打ち着けられていた。勤労奉仕が非番であった母が、奧から走り出て助け起こした後の、その日の残りの時間のことは、悪夢の連続の中に過ぎていった。
 
 佐山がただ一つ、鮮明に記憶していることは、二人を助け起こした後、父の身を案じて、京橋川の方へ出かけた母が、まもなく幽鬼の表情で帰り着いて、佐山と妹の手を握り締めてわなわなと震えながら、比治山の西に一面に燃え上がる炎を見つめていた姿である。
 三千代は、佐山周一が広島に投下された原爆の体験者であることを知って、彼の年輪の密度を思いやった。
 赤十字病院へ出勤の途中で、佐山の父は二度と帰らぬ人になった。父の年齢は、当時三十四、五歳であったから、満州などの大陸や、南方の島々の戦線に招集されて行ったはずであるが、赤十字病院の医師達と同様の扱いを受けて、病院の調剤の仕事に当たっていた。母がそのことをどう考えていたのか、佐山には考えも及ばなかった。彼が物心ついてから、無数の若者と年配者達が、なだれのように出征していった。四歳年下の妹を背負った母の傍について、町内からの出征兵士を、日の丸の小旗を手にして、軍歌を歌いながら何回も見送った。その時、佐山が下から見上げる母の表情は苦渋に満ちていた記憶が鮮明である。
 廃虚と断末魔の中で、母は五日間にわたって父の捜索を行った。彼女は次第に痩せて、表情は硬張っていった。被爆の犠牲者達の遺体は無差別に積み重ねられ、次々に荼毘に伏されていった。佐山の父もその一人であった。母が父の遺骨だと言って、仏壇に安置した白木の箱の中は、見知らぬ人達のそれであったのだろう。母は納骨が終わると、小さな蟻に至るまで、生きている物の命を奪ってはいけないと、佐山と妹に固く言い聞かせた。
「五日間の捜索の間に、母が目のあたりにした広島の街と被爆した人々の様子は、誰も言葉では表現出来ません。地獄絵図というような言葉はほんの一部分を表現しているに過ぎないのです。」
 それについては、小学校時代から写真などで、三千代もある程度は知っていた。言葉で表現出来ない惨事とは、人間社会の営みを、人間の能力の及ぶ範囲内のことを、人間の感情の届く領域を、それらの全てを超えた現象であると、彼女は全身でその意味を考えた。
 八月十五日、終戦を告げる放送が全国に流れた時、佐山の母は, 二人の子どもを抱きかかえたまま泣き崩れた。夫を失った悲しみと悔しさ、終戦によって我子の命を守られるという安堵感、廃虚と化した広島の予測もつかない先行きの不安、全てが入り混じっていたのであろう。佐山が父の死を実感として, 子どもなりに深く考えるには、彼の周囲は人間社会の営みをしていなかった。
  母が父を探す間、妹の世話をするために, 本浦町の中へも出歩かなかったことが, 佐山周一に幸いした。爆風による振動で撥ね倒されたが、爆心地から四キロ以上離れていた上に、目に見えない何物かの手によって, 悪魔の襲撃から無傷であった。被爆の恐ろしい後遺症の事実の中で、母は, 自分の子ども達は放射能には犯されていないと信じ込んでいた。事実、彼女の確信どおり、佐山と妹には、長い年月の心を蝕む気遣いの代価を払って, 遺伝上の被爆の後遺症もないことが証明された。  悲劇は佐山の母に来た。彼女のそれも言語を絶した。被爆から八年、日本全体が長い戦争の惨禍から、ようやく立ち直りかけた頃、佐山が中学一年生の夏、彼女は突然白血病で倒れた。被爆による血液癌であった。高熱に苦しみながら、原爆を呪い続け、夫の名を呼び続けた。 「周一、生涯を掛けて、お父さんと私の恨みを晴らしておくれ。」
 『恨みを晴らせ』とは、一体何のことだろうか。佐山は中学一年生の頭で、精一杯考えた。小学校高学年頃から数多く読んでいた書物から得た知識や、戦中、戦後に掛けて幼いながらに体験したり、風聞した事実から、中学生の頭を使って、苦しみ続ける母の傍らで、『恨みを晴らせ』とは、戦争反対のために、原爆 反対のために、生涯を捧げよという意味であろうと解釈した。
 苦しみ抜いた母が息を引き取った時、佐山は涙が出なかった。声も出なかった。妹は母にすがりついて泣き続けた。三次の祖父母も声を上げて泣いた。
 佐山の涙が流れなかったのは、その悲しみが深すぎたためであろうと、三千代は、小さい頃に聞いた中江兆民と彼の母の死を思い出した。
 被爆の後遺症で世を去ったのは、佐山の母だけではなかった。彼自身の級友やその肉親にも、犠牲者は数え切れなかった。母を埋葬した後、佐山と妹は、山間の三次の祖父母に引き取られた。
 「僕が、涙も声も出ない状態の時、同じ赤十字病で、弟さんを失われたのが、あなた達の秋本先生だったのです。秋本先生は、終戦の八月、学徒出陣で長崎におられました。先生ご自身も、三級の被爆手帳をもっておられますが、広島のご両親をあの八月六日に亡くされ、弟さんも僕の母と同じ日に同じように原爆症で亡くされたのです。単なるひと組の偶然
に留まらないのです。」
 喫茶店アイリスの外の雨足が激しくなってきた。三千代は彼の話を熱心に聞きながら、外の雨は、あの時の彼の涙であろうと思った。太平洋戦争のことは、父母や祖父母達から聞いてはいたが、現実に身近な人達があの戦争の、特に、原爆の犠牲者であることを知って、戦争への認識が未熟であったことを思い知った。
  彼女は大学で国際経済研究のまねごとはしているが、平和への強い意識をもったことはなかった。平和を強く志向して初めて、国際間の経済関係が発展する。こんな分かりきった原点を、一度も意識したことはなかった。秋本教授にも、知らぬが仏の身勝手な論法を、押しつけていたのであろうと考え始めると、にわかに身の置き所がなくなってしまった。
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(四)周一の涙/草の根運動  
              
 喫茶店アイリスの川向いの、銀杏と柳の青葉にたたきつける雨を,佐山はしばらくの間眺めていたが、意を決したように、再び三千代に語り始めた。
 佐山の妹が,高校を卒業して赤十字病院の高等看護学院に入学した時、彼は大学の四年生になっていた。学業成績が優秀であったその妹が、彼が三田建設に入社した四年目に、突然、医学を勉強したいと言い始めた。結婚の適齢期の近づいている時に、どうしてまたそんなことをと、父母の代わりを果たしてきた立場から、気持ちはわかるが、もう遅いのではないかと説得したが、『看護婦の仕事だけでは、亡くなった母さんの恨みは晴らせません。』という強い意志が返ってきた。妹のこの言葉を聞いた時、佐山は初めて,原爆症で亡くなった母のことで涙が流れた。それは後から後から,止めどもどもなく流れ続けた。妹はその涙をじっと見つめていた。彼女はその翌年の四月、二十二歳で広島大学の医学部に入学した。
  佐山と秋本教授が、肉親の被爆の死による絆をもち始めたのは、彼が東京の私大の経済学部に入学した年である。彼は、母の『恨みを晴らせ』を,原水爆禁止運動の中に求めようとした。具体的な活動を求めて,学生運動に積極的に参加していった。理論武装をしていたわけではないが、安保反対闘争も闘った。日本を苦しい立場に追い込むのではないかと,彼自身が不安に感じることに対しては、『母の恨み』として自分を投げ打っていった。
 三千代の大学が中央から遠いばかりではなく、安保闘争よりもずっと遅れてやってきた学園紛争も、世間の話題から消えた時代に彼女は大学生になった。彼女にとっては、佐山の話を観念的に捉えるのが精一杯であった。
「残念なことに、学生運動への参加は、僕にとっては単なる集団参加に過ぎなかったのです。」
 佐山が求めたものは,社会制度の根本的な変革ではなく、反核と平和であった。彼は,同じ大学の学生運動の活動家達に原水禁運動の原点を求めた。しかし、十人中十人までが、人間性の根元から来ているものではないことを、愕然として知らされ、次第に学生運動への疑問符が増幅されていった。また、同時に、国民の核認識は、観念の域を出ないことが明確に読み取れ始めた。そして、日本全体のムードが,経済成長一本に傾いている時代でもあった。非核三原則の空文化に向かう動きを助長するような国際情勢の目まぐるしさもあった。
 『まさかそのようなことが二度とは』という意識が、核に対する国民の意識の底流ではないだろうかと、彼は政党主催の反対闘争の盛り上がりという表現の中に、それを感じ取った。
 母に連れられて、広島の中心地、この辺りが、父が亡くなった場所だろうという地点から爆心地にかけて、一面の瓦礫の原野を、ただ茫然と眺めた記憶が消え去らない。
 「その時も空はどこまでも青々として、太陽は明るく輝いていました。」
 八月六日から二ヶ月過ぎていたその時でさえ、砂漠となった焦土の状態は言語では説明出来なかった。八月六日、二十万人を焼焦がし、ゆがめ、責めさいなんで死に追いやったものは、人間のものではない。非人間のもたらした現象であったと、父を探し続けた時の母の表情を思い起こす度に佐山は思った。彼が冷静に反対闘争を眺め始めてまもなく、彼の周囲は、核の傘の論理に終始し始めたが、人間を非人間によって管理していこうという、核の傘の論理は、佐山のように明確に被爆を意識する人物には、到底受け入れることの出来ない論理であった。それでは、理論的に反論して見よと迫られても、力のバランスと力の優位性が全てを決定する、政治中心の論理を論ぱくする必要はないと佐山は考えた。
 非人間の元凶に
どんなに立派な理屈をつけても、人間的な根元を人間自身が喪失していくばかりではないだろうかと、三千代は、佐山の考えに深く感応していった。
 政党中心の華やかな原水禁から離脱する時、佐山は長崎大学の秋本教授の理論の中に、被爆の犠牲者を肉親にもつ者だけに在る、あの慟哭の調べを聴き取っていた。反核平和の地味な市民運動があるのならば、それは、理論を超越したもっとも人間的な運動であろう考えるようになった。彼は秋本教授に直接手紙を送った。それに対する教授の返信の中に、彼は、それ以後の、母の恨みを晴らす方向を見い出したのである。
 人間的なものは、本来弱いものでなくてはならない。その弱さが逆に、人間を守り続ける強いものになっていく。逆説的であるが、市民的な運動こそ、人間性を守り抜くのではないかと、三田建設入社後も、佐山は表面に出ない市民運動を主体的に続けてきた。
「息の長いことだと思っています。」
 三千代は、佐山と秋本教授の共通の過去を知った時、彼女もこのままではいけないと思い始めた。飄々とした秋本教授も息の長い市民運動の理論と実践の指導者で、自らも活動家である。長引く不況の中で、企業活動に腐心しながらも、佐山は若い人達に根気強く語りかける。定形化した原水禁運動との大きな相違を、彼の話に感じ取って、勇気のある人とは、こういう人のことであろうと思った。
「この前お誘いいただいた鹿児島にも、被爆された方達がいらっしゃるのでしょう。」
「被爆された方達は全国に、海外にもおられます。僕が一方的にお話をするばかりで、あなたの貴重な時間をつぶしてしまいましたね。」
「いいえ。今日はいろいろ大事なことを教えていただいて、ありがとうございます。」
 佐山が単に、男女の関係で桜島へ誘ったのではないかと、あれこれと邪推していたことを密かに恥じた。また、彼が市民運動の一環として、自分に近づいたと考えることも失礼にあたると思った。息の長い信念の人に、そのような卑劣な近づき方の出来るはずがない。自分と佐山さんは、互いに近づく運命にあったのだと考えた。自分を桜島へ誘うことを、佐山さんは避けることは出来なかったのだわと結論した。彼の一部に、反核の市民運動があるのならば、自分もその一部に参加することが、運命的な出逢いの当然の帰結ではないのかと、彼女が一読して解釈した『三千代的』な論法を働かせていた。
「突然で驚かれては困るんですけど、私も佐山さん達の仲間に加えていただけないでしょうか。長崎の大学にいて、これまで無関心だったことを恥ずかしく思います。」
 三千代の真摯な理解が佐山の笑顔を生んだ。同時に、佐山の先程の懸念が頭をもたげてきた。
「ありがとう。息の長い運動ですから、ぼつぼつでのいいのです。」
佐山は再び外の雨に見入った。雨は、明日まで降り続く気配を見せていた。
「明日は日曜日だし、ちょっとリエに寄って帰るかな。」 佐山は独り言のように呟いた。
「あら、おそろいで。どうぞこちらへ。」
ママのあき子が、三千代と佐山を狭いボックスへ座らせておいて、長崎弁で二人をひやかした。三千代はその冷やかしに対する、佐山の心の動きを感じ取った。今のスケジュールどおりであれば、八月上旬に桜島見物について行けると、佐山の誘いに心の中で答えを出した。
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(五)広島・初体験

 「三千代さんらしくないですね。桜島よりゼミナールを優先しなくてはだめですよ。」
  八月の最初の土曜日を利用して、国際経済研究のゼミナール全員で二泊三日の研修旅行をしようではないかという、秋本教授の唐突な提案を、三千代はもてあました。夏休みの長さを考えれば、長崎の原爆忌を前にして、慌ただしい旅行をすることはないのにと、その意図をつかみかねた。そして意地が悪いと思った。予定があるからと断ることは簡単であったが、佐山の恩師にあたるような人から、直接指導を受けている彼女には、決断が出来なかった。七月の中旬を過ぎて、長崎の梅雨が明ける頃、スナックリエで佐山を待った。
 「僕は来月の二十日前後、帰省をかねて東京に出張する予定です。途中で広島に立ち寄り、墓参りをするはずだけれども卒論の資料集めでは、何時頃上京する予定だったのですか。」
 彼女が上京の折は、佐山が資料集めに関して手伝ってもよいと、言っていたことを思い出したが、具体的な日取りを決めていたわけではないから、彼の日程に合わせたいと申し出た。
 三千代はこれまでと違って、優柔不断になった理由が判然としなかった。二、三ヶ月前までは、二者択一に迷うことはあっても、自力でそれなりの決定を下してきた。卒論の資料集めで、東京まで出向こうと決めたのも、彼女一人の決断によるものだった。ただ、最近の優柔不断の中で、はっきりと一本の線は出てきた。それは、彼女が仕上げる卒論のテーマの基調に反核と平和の精神をおかなくてはいけない、ということであった。佐山の存在が視野を広げたのだと感謝している。そればかりではない。女性として男性を意識したのも、佐山周一が初めてである。これまでに三千代に接近してきた男性は、大学生を中心にした同世代の若者ばかりであったが、特別に深い感情を抱く付き合いをしたことはなかった。佐山の判断に無条件に従っている自分をつき離して見て、決断が鈍るのは、彼の存在が原因であると思い至った。妻子のある男性だとの思いがよぎったけれども、これも運命的なものなのかしらと、『それから』を思い出していた。

 八月の下りの帰省列車が混み始めた頃、三千代と佐山は、博多から新幹線を利用して広島に降り立った。彼女にとって広島は、この時が初めてであったのだが、その日も無風の暑い一日を迎えていた。広島駅から市の中心部、八丁堀にかけて、三十六年前に非人間の現実があったのだとは、とても信じられない活気のある街並みと景観である。
 戦争と被爆の『風化』という言葉を、彼女もマスコミをとおして何回となく耳にしている。広島を歩いて、長崎を初めて訪れた人が抱くと印象と同じように、『風化』を一方的に非難出来ない気がしてきた。
血の滲むような長い努力による繁栄がもたらしたものがある。佐山さんはこの繁栄と『風化』の中に、被爆者の慟哭を、力強い原動力として息長く響かせることで、平和と人類を守る運動を続けていく、勇敢な人なのだと実感した。
 爆心地に行きたいと佐山に頼んだ。頼んだというより、媚びの心であった。その媚びは、戦争を知らない世代に特有のものであったのかもしれない。佐山はその媚びをはっきり感じ取った。未知への媚びと男性への媚びと、二つが混在しているところに三千代の魅力があると思った。彼が案内して回るところは、彼女の未熟と無知を次々に塗り替えていった。平和記念資料館では、非人間の存在が実在となって彼女に迫ってきた。大学一年の時、地元出身の学友に連れられて、長崎の原爆の資料を見たけれども、今思えば、不遜なことであったと三千代は反省する。それを見た目は丁度、沖縄の戦跡を歩く新婚の多数が持っている程度の、遠い昔の歴史の一ページとして見る目であった。彼女は、広島の資料館の中で目眩を感じた。それを佐山が支えてくれた時、何故かピカソのゲルニカが浮かんできた。平和記念公園を歩いて、広島は美しい、川を挟んで、長崎よりも絵画的ではないかと、佐山に印象を伝えて、ふと尋ねてみた。この場所を、三十六年前の焦熱地獄の爪痕のままにしておいたならば、どうであっただろうか。
 「三千代さん、さすがですね。このような美しい公園に変えたということは、逆に、八月六日の惨劇の深さを物語っていますね。それはまた、私達が東洋的だということでしょうか。西洋ならば、おそらくそのままにしておいたかもしれませんね。原爆ドームの永久保存が、西洋的なものとのぎりぎりの接点かもしれませんね。」
佐山の感想は三千代を沈黙させた。
 八月六日の朝、佐山と妹が一瞬の偶然か、命を守られた本浦町の場所にも案祭された。彼が妹を連れて蝉を取りに行こうとした、あの桜の大木はすでになくなっていた。
 「今のこの平和を崩そうとする兆しを、僕はどうしても許せないのですが、声を大きくして叫ぶことは、人々の一時的な関心は引いても、その心に深く滲みこむものではないのだと、大学時代に知りました。秋本先生はそこをよくご存じです。だから、先生の理論は全体的に地味なわけです。ご専門の経済学でも、先生は地味な理論を説かれるはずです。学生達には、先生のその点が少し物足りないかもしれませんがね。」
 三千代は気分が異常に高揚するのを感じた。佐山からたしなめられるのを覚悟して、広島の同じ志の人達に紹介してもらえないかと言った。
「まだまだ早いでしょう。何を始めるにしても、その人の生活の場が第一歩です。江戸時代の隠れキリシタンのようですが、生活の場を離れての反核と平和はありえません。秋本先生もそのお考えです。大言壮語は政党人のものでしょう。被爆者認定にしても、長い年月がかかっています。行政が、国民や市民の福祉を先取りしてくれるとは、これまでのところ、考えられないでしょう。最近の一連の公害問題でも、このことは証明済です。
 善意の第三者は、それほど事を荒立てなくても、いずれは政治が、なんとかしてくれるのだと受け取っていますね。実は、江戸時代の隠れキリシタン的な動きが、市民の意識の底には流れているのです。僕はそう信じていますよ。結局はそれが、長い歴史を動かしています。西洋の歴史が華やかに映るのは、きっと、そのような市民の動きをクローズアップしているからだと思いますよ。あなたの卒論の大綱が完成した頃に、秋本先生を通じて、生活の場の長崎で参加されるのがよいでしょう。」
 瀬戸内の夕なぎの中を、長く伸びた並木の木陰を歩いていて、三千代は佐山の話しに熱心に耳を傾けながら、ドヴォルザークの「新世界より」を聴く時に感じる陶酔の中にいた。ふっと気づいた時、佐山の腕に両腕を組んで彼に寄り添っていた。八月の夕日に映える広島の佇まいが、彼女の心に、生まれて初めての甘美なユートピアを創り出した。彼女は佐山の腕を伝って、次々に心の奥に流れ込んで来るものを感じた。
 その夜、医師をしている妹夫婦の家に泊まる予定の佐山を、彼女は再び媚びて引き留めていた。佐山の腕から離れることは、彼女を非人間の世界に墜落させてしまうような、不安を引き起こした。その不安は、佐山の全てを受け入れたいという強い願いへと変わっていった。その媚びを、佐山は二人に与えられた運命だととらえてしまった。それほどその日の夕映えは幻想的であった。
 初めて訪れた広島で、三千代はそのスリムな躰を佐山に開いた。それはまた、彼女にとっては初めての体験であった。二人が結ばれた時、いく筋もの稲妻が、張り巡らされた網のように彼女の全身を包み込んだ。彼女をやさしくいたわりながらも、佐山は男の激しさを貫きとおした。そして平静にもどった時、彼女は佐山に包まれて何時までも離れようとはしなかった。
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(六)卒 論

  キャンパス前の街路樹のほとんどが、その装いを黄色く変えきった頃、果たして来年の春には長崎を離れるのだろうかと、三千代は学部の図書館から窓外を眺めて、澄みきった青空の中に不確実なものを感じた。彼女の卒業論文だけは着実に進行していた。八月の上京の時、佐山が本格的に協力してくれた資料集めが効を奏して、九月に入って書き始めたものが、すでに、全体の計画の半分以上片付いていた。草稿が半分に達した時点で学生達は、それぞれ秋本教授に目をとおしてもらい、後半の指示を仰ぐことになっている。人柄がよく滲み出た、学生に密着した卒論指導である。
 このところ、三千代は考えることが増えてきた。五月の初めの頃の予定では、秋には卒論を完成させておいて、卒業後の来年の春からの進路も決定されているはずであった。しかし、八月に入ってから、三田建設の佐山周一の存在が大きく三千代の心と、彼女の来春からのことも占有してきた。佐山と結ばれてからは、彼に向かって身も心も傾倒してゆくのを女はこんなものだろうかと、客観的に観察して見るけれども、それを止めることは出来なかった。スリムな躰を彼に預けて二人のリズムが一致する時、彼女の全てが彼の中に溶け込んでしまうと感じる。その感覚から醒めた時、これが生の充実の証しなのだろうとその充足の時を反芻する。二人がこれからどうなるのか、ふと不安を感じる時には、佐山を永久に独占出来ない焦燥と、時折湧いてくる東京への激しい嫉妬をその充足の中に埋め込んでいた。
 秋の深まりは彼女の周囲でどんどん進行していった。ゼミナールの男子学生達のほとんどはすでに進路が内定していた。彼女が進路に関して動きを示さないことを、彼等は卒業と同時にゴールインだろうと言って冷かした。スナックリエのママのあき子だけは、三千代を占有しているものを感じ取っていた。九月以来、リエで二人揃ってあき子と顔を合わす機会は二、三度しかなかった。その時の佐山の態度も三千代の態度も以前と変わらないと確信していた。ママのあき子は、その二、三度の出逢いの時に感じるところがあった。お得意客の男女の間のそれをはっきりと知った場合でも、決して気づいていない態度をとる知恵を、仕事上の経験であき子は体得していた。
 リエで佐山と逢った夜は、このまま彼と一緒に帰れないものかと三千代は一人で強く願う。妻子のある佐山と三千代の二人が、帰れる場所があるはずはないのだが、切ないものが湧いてくる。そういう時は、あき子も驚くほどアルコールが入った。アルコールの強い女性には不感症が多いとか、いやその逆だとか、根拠のないことを、男子学生達が話題にしているのを聞いたことがあるが、佐山との間には不感症はないと信じている。それは二人の間に愛があるからばかりではない、運命的な出逢いの男女の間の性愛は、運命的に完全なものであると三千代は思う。

 喫茶店アイリスの川向かいの遊歩道の並木が、青空の下でその黄緑を、今が盛りと人々の目に誇っている時、三千代は卒論のことで佐山とコーヒーを飲んでいた。
「秋本先生から注意を受けたわ。」
「先生はめったに注意をされない人だと、僕は受け取っているのだが。」
「周一さんも、ここまでの私の論文に特に問題は感じないでしょう。」 秋本教授に何を指摘されたのかと佐山は尋ねた。
「速見君の言うとおり、国際経済の基盤は平和であり、反核の運動もその一つであるのだが、経済論文にそれが強く臭うのは、感心しないと言われたの。そのご指摘で、はっと気づいたわ。周一さん達の運動の精神を、まだよく汲み取っていなかったのだって。ごめんなさい。」
「僕に謝るようなことではないよ。しかし、これで、秋本先生から、長崎での平和に関係した、地味な運動への誘いがかかってくるだろうね。それにしても、秋本先生はさすがだな。この論文にそのような臭いをかぎとることは僕にはできなかっ。言われてみれば確かにそうだね。」
 十一月中旬の太陽が、西に傾き始めて二時間も過ぎていたであろう。紅葉の中でも黄味の強い、川向かいの並木の半分が黒みを帯びた陰になり、無風の青空に映える様子が、店内に流れているベートーヴェンのピアノコンチェルト第三番によく合っていた。三千代はこのような雰囲気が好きである。時間が永遠に止められて、特に自分の存在が未来永劫に続くような錯覚にとらわれる。その錯覚が何時までも続いて欲しいと願う。
「秋本先生から進路のことも注意を受けたわ。他の学生達は全員内定しているのに、速見君はそのことで何の相談もしないが、郷里の方に心あたりでもあるのかって。」
 佐山に対する彼女の気持ちがどんどん加速される時、彼はふと、その気持ちに報いる限界のきていることを意識した。妻子があることだけがその理由ではないような気がした。また、彼女に対する彼の気持ちの不純とも思えなかった。やがては彼女との別れが訪れることが、彼の意識の底にはあったけれども、彼女の立場からの別れの方が、先にやってくるとは考えもしなかった。
「経済学部卒業といっても、まだまだ、女性は不利な立場に置かれているし、ほんの少しだけ英語が得意な程度でしょう。郷里に帰って英語の先生をするほどの単位は取っていないし、商業の免許は卒業と同時にもらえるけど、教員採用試験は来年を待つしかないわ。それで、大学院へ進むか、長崎へ就職を求めて、周一さんと秋本先生達の地味な運動に参加するか、この二つを考えているのよ。周一さんどう思う。」
 八月のゼミナール旅行の時と同じように、三千代はまた二者択一に悩んでいた。八月は佐山がその場で決めてくれた。そのことが、彼女の全てを彼にあずける引き鉄になった。「大学院といっても、長まだないでしょう。ただ、父は二年間ぐらいならば、学資の心配はするなと言ってくれてはいるんだけど。」 彼は三千代の進路を本気で考えることにした。
 「僕にも心あたりがなくはないのだが。三千代さんは英会話も少しは出来るんだったがね。大学院に進学する場合は別にして、ここに残るとなれば、具体的に才能を生かせる分野を探してみるよ。」
 佐山は彼女の就職に関して一度秋本教授と相談する必要があると感じた。三田建設には地元採用の枠がある。来年度の採用は長崎勤務ではなく、佐世保に出向という形になっているけれども、採用に関して、佐山は多少の口の効く立場にいる。彼女の英語力が役に立つかもしれないと思った。
「長崎に残る場合は心配いらないよ。それよりも先生が言われたように、平和論が漂い過ぎているということで、純粋な経済論文に書き直す方がよいね。卒論のコピーを求める場合があるからね。この論文は基底に平和を押えていると、読む人に感じさせる程度でよいというのが、先生のお考えだと思う。大変だろうけどね。後半は予定どおりに進めればいいよ。」
佐山の言うとおりにしておこうと、素直に『それから』の『三千代』になった。
 その夜、二人は激しく求めあった。佐山が導くままに、三千代はそのスリムな躰を震わせて、貪婪に燃え続けた。たとえまだ遠いところにあっても、二人の上に別れの翳りがさしかけてきたことがそうさせたのか、彼女が女に成熟してきたのか、おそらくその両方であったのだろうが、十一月中旬の長崎の弦月は、港を見下ろしてひっそりと西の空にかかっていた。
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(七)山陰・故郷の雪

 長崎を発つ時には、街路樹に吹きつける寒風の中を、残り葉が数枚、小枝の先で震えていたけれども、三千代の列車が山陰本線に入ってからは、枯れ葉を残した樹木はすでに一本も見当らなかった。列車は冬の夕日を背にしてあえぎながら進んでいった。左手の日本海の黒ずんだ海面に、冬雲の切れ間から夕日が放射状になって冷たく差し込んでいた。
 三田建設の地元採用の一人として年内に内定したことを、彼女は新ためて佐山に感謝した。英語の使える女子学生はいないかとの求人が三田建設からきているが速見君どうかねと、秋本教授から知らされた時、すぐに佐山の働きが効いたのだと察して応募の返事をした。勤務先は佐世保になるとのことだが多少の無理をすれば西海橋を経由して長崎からの通勤が可能かもしれない。佐山と同じ職場でなくてよかったと思う。面接で職種の説明を受けて、やりがいのある仕事だと三千代は大いに積極的になった。前半の書き直しを励ましてくれた佐山のおかげで、卒論の後半も冬休み前に脱稿出来た。一月の中旬に英文タイプにかければ完成する。海に迫る山と海岸線の間を縫いながら走る列車の中で佐山の存在を、三千代は繰り返し繰り返し胸で温めた。
 秋本教授は佐山の予想どおり、三千代に静かな市民運動への参加を勧めてくれた。戦争体験のないものでもお役に立てるならばと秋本教授に深く頭を下げた。その後、運動のまとめ役をしている人達に紹介され、彼女と同世代もかなりいることが分かり、これならば、自分なりの手助けができるだろうと安心した。目立たない運動である。特定のイデオロギーに巻き込まれることはこの運動の死滅を意味する。いつか佐山が隠れキリシタンのようなものだと言っていたことを思い出した。郷里で正月を迎えて、卒業後も長崎に留まるいきさつを両親によく説明しておいた方がよいという佐山のアドバイスを受け入れた。三千代自身も佐山が不在の長崎で新年を迎えることに気が進まなかった。
 日本海の水平線のはるか手前を、なつかしい雪雲が、中国山脈めがけて進んでいた。明日の朝は銀世界だろうと、彼女はコートに包んだそのスリムな躰を窓ぎわの肘掛にもたせて目をつむった。父も母も卒業後は、帰郷して高校か中学の教師をすることを望んでいる。長崎に出ることにはそれほど強い反対はしなかったが、学業を終えたならば必ず、地元に帰ることを約束していた。佐山周一との出逢いがなければ、郷里の教員採用試験を受けていたであろう。しかし、彼女の心に平和や反核の意識は芽生えなかったであろう。そして二十三歳を前にして、一人の立派な男性からの愛を受けることもなかったであろうと彼女は思う。日本海に降りそそぐ薄い夕日のこもれ陽を、その事が彼女の幸せにつながるのどうか、疑いを投げかけるかのように、黒雲の動きが次第にかき消していった。

 三千代が郷里のわが家に着いたあくる朝、日本海の空が次ぎ次ぎから次ぎへと雪を送りこんできた。その雪を見上げた時、彼女はふと、佐山が手の届かない遠い所に去ってしまったような不安にかられ、『周一さんとの別れがくる。』
 彼女の躰を包む雪の冷気によって、佐山からどんどん引き離されてしまうような寂漠を感じたが、その冷気を突き詰めて考えようとはしなかった。
『周一さんとの別れなんて、久し振りに見る雪の精が引き起こした幻覚だわ。』
 彼女は強く打ち消した。いずれにしても、父と母には引き続いて長崎に残る理由を説明しなくてはならない。就職ではなく、学部にある専攻科に残り、専門の研究をする傍ら教員採用試験の準備するのだと言っておこうと考えた。特に理由があるわけではなかったが、就職によって二人の希望を完全に摘み取ってしまうよりましだろうと思った。その考えも降り積もる雪が三千代に引き起こした幻覚だったのかもしれない。

 「速見君、その後君の大学に進学する後輩がいなくて申し訳ないね。先輩に続くようにと、はっぱをかけているんだけどね。ところで、卒業したらここに帰ってきてくれるんだろうね。」
 高校三年の時の学級担任は、この高校に在職が長い。卒業後もいろいろ心配してもらったが、特に三年生になってからは英語を厳しく鍛えられた思い出がある。中でも、熟語本位 英和中辞典と高校生には
度の高すぎる英和活用大辞典を使いこなすようにと厳しい指導を受けた。そのおかげで、卒論もかなり自信のある英文になり、三田建設でも英語を生かした仕事がまわってきた。『帰ってきてくれるだろうね。』と念を押されて、母校の英語教師になるために、もう一度単位を取り直そうかと、『それから』の『三千代』が頭をもたげてきた。
 「先生、もう一年専攻科に進学して考えてみます。その時はお力添えをよろしくお願いします。」
「三千代、専攻科だなんて。好きな人のことなんでしょう。ちゃんと顔に書いてあるんだから。」
関西の女子大にいる級友達に図星をつかれた。新年早々の三年振りのクラス会は、三千代にはどことなく落ち着けない集まりであった。

 毎日のように降る日本海の雪の中、三千代は佐山の夢を数回みた。どの夢にも、アイリスで平和運動の話しをしている場面があった。一度だけ、その夢の中で佐山に躰を求められた。一つに結ばれる時は、彼女は出来るだけ広く、彼の肌に自分の肌を密着させることを望む。その夢の中では、結合の途中で佐山の存在が消えてしまった。彼女は感覚の持続を求めて、夢の錯覚の間をさまよい続け、その夢からすっかり醒めた時、降っている雪が冷たいと感じた。それは新年を迎えた一月五日の明け方であった。その朝、彼女の町に雪は降ってはいなかった。ふと、佐山の子どもを産みたい、子どもの産めない性愛は、外の雪のように冷たいものでしかないのだと、そのスリムな躰をベッドの上で反転させた。

 父と母が、来年は必ず帰ってくるんよと、わざわざ駅まで見送りながら念を押した。彼女は速見の家のひとり子である。せめて妹でもいてくれたらと、責任を逃れるわけではないが、どことなく重荷に感じる。こんなことではいけないと思うのだけれども、まだまだ自由の身でありたいと思う。佐山周一のそばを離れたくない。
 心配しなくてもちゃんとやっていくからねと、三千代は二週間振りに郷里を発った。四年前に大学受験で西へ下った時とは違って、る目的は二重になっていた。その目的に思いを巡らせる彼女の視界に、何時訪れるとも予測のつきにくい日本海の春のように、山陰本線の単線が、海岸線と先を競うように西へ果てしなく続いていた。
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(八)周一が海外へ


「速見君、なんかあったと。今日は元気んなかね。」
スナックリエに入る前に、ゼミナール仲間の心配が三千代に集まっていた。秋本教授の退官記念パーティーは学部を挙げての正式な開催があるが、ひとまず三月の上旬に、丁度大学入試の二次試験の間に、ゼミナール内だけの退官記念会、四年生の卒業祝いを兼ねて、盛大にやろうという話しが纏まり、ゼミの学生全員が参加した。一次会が始まってまもなく、三千代は胸がつかえて、今日が最後だというのに、どうして気分が冴えないのだろうかと少々不安であった。男子学生達が、彼女の卒論の大綱を秋本教授から聞いていて、杯をもってきては誉めてくれた。いつもであれば、臆することなく返杯するのであるが、その夜はなにか胸につかえたような、奥からこみ上げってくるような気分がしていた。二次会でリエに来てからも、ママのあき子にことわって、レモネードにほんの少しブランデーをミックスしたものを手元に置いていた。秋本教授はことのほか機嫌がよく、酒宴の雰囲気を全身で受けとめているという様子であった。
「速見君、僕はこの大学で定年を迎えて本当に感謝しているよ。悔いのない教官生活だったと思っているよ。退官間際になって、学生諸君にごまをすっても始まらないのだが、君達とは気をおかずに研究できたからね。速見君のような特異な才能と、純粋な心の持ち主に出逢えたのも、決して忘れられない一ページだね。いや、そう謙遜しないでくれたまえ。学問の世界でも、ビジネスの世界でも、創造の領域でも、純粋な心がなければ進歩も発展もないし、純粋な心の生み出すものでなければ、永遠性は無いということを、定年が近づくにつれていよいよ、思い知らされたね。純粋の視点から見れば、僕などはまだ小学校一年生にもなっていないね。悟りすましてはいけないと、何時も誰かに囁かれている感じだね。速見君は、自分では弱い存在だと思っているかも知れないが、君の今のその純粋な心を失わない限り、強いことを為しうると僕は信じているよ。例の平和運動の件だが、戦争を知らない人達にこそ、どんどんそれをやってもらいたいし、速見君には特に期待しているんだが、これもやはり、澄みきった心があって始めて継続出来ると思ってよいだろうね。」
「秋本先生こそ第一番に純粋であられるから、学生達が一糸乱れずについてきたのだと思いますわ。」 私は純粋と言い出し掛けて、その言葉はむしろ周一さんに捧げられるべきだ思った。
 その夜が事実上の最後だというので、まもなく、男子学生達は、秋本教授をだき抱えるようにして、思案橋通りへと繰り出して行った。彼女はついに、リエの洗面所で吐きもどした。とくに胃の調子が悪いとは思わないし、これまでどんなにアルコールを飲んでも、吐くということはなかった。

「三千代さん、心配な事があれば、私でよければ相談にのるわよ。」
あき子は少なくとも毎月二回は、この四年間、彼女を見てきた。彼女の異変には、郷里の親よりも敏感かもしれない。あき子は、彼女がつわりだと判断した。もちろん、産みはしないだろうが、まだ二十三歳の春に、どうしたことだろうかと、あき子なりの心配と同情があった。
「ママさん、こんなことは始めてだわ。ごめんなさい。これからも引き続き長崎にいることになりましたわ。よろしくお願いしますね。」
今夜は早目にアパートに帰ると言ってリエを出る時、あき子はもう一度なにかあったら遠慮しないようにと囁いた。

 生理がとんでいるのは、躰の疲れのせいだろうと、軽く考えていたが、リエで吐いたことで決定的となった。その夜、アパートで、三千代は新年の郷里で抱いた願いが、現実のものとなったと実感した。どうするのか、考えようとするけれども、佐山との愛がすべてに先行してしまう。三月二十五日からは、三田建設に研修に出かけることになっている。それまでには、心を決めなくてはいけない。一方では、もうすでに心は決まっているような気もした。彼女のこれからの人生で、佐山との間に育んだ愛ほどの男女の愛を、他の男性を相手に経験するこは無いだろうと考える。しかし、二人の間の子どもを産むことは、自分の気持ちとは逆に、運命的なまでの愛している佐山を苦しめることになるだろうし、だからと言って、佐山から去っていくことにも耐えられないだろう。
 三千代は初めて佐山との間に織り成してきた二人の間の愛の行きつく悲劇を見つめて、まだ出逢ったこともない佐山の妻に対して激しい嫉妬を湧きあがらせていた。そして、産みたいという衝動が強い母性となって彼女を翻弄した。リエで吐いたその夜、彼女は夜る更けるまで『それから』の『三千代』に安心を求め続けた。

 佐山周一はいつものように、左手で軽く合図して颯爽と近づいてきた。その日の彼は、いつもより若々しく映った。
「もう元気になったかね。リエのママがひどく心配していて、僕をにらむような風だったな。大丈夫だよと言っておいたけど、ほんとに、どうこもどうもないんだろうね。」
「ええ、大丈夫よ。あの時はきっと、四年間の疲れを背負っていたんだわ。ほんとに自分でも不思議だったわ。」
彼女のつわりはまで続いていたが、ひと頃ほどではなくなっていた。つわりの軽い体質かもしれない。 その日、三月二十三日、佐山からの誘いで、彼女は崇福寺のふもとにあるレストラン”白雪”に出かけてきた。ほとんどアイリスなのに、今日はどうしたことだろうかと、怪訝に感じながらも、その月の始めに会って以来のことだったので、少し風邪気味ではあったが、約束の時間より早く着いていた。このレストランは、入り口の壁に蔦を這わせ、店内には長崎由来の骨董品を配置して有名である。彼女が入った時に流れていたベートーヴェンの交響曲第七番が、佐山が到着するまでには終わってくれた。
 「いよいよ明後日からだね。社のみんなは、君にだいぶ期待しているよ。僕の宣伝が効き過ぎたかな。美人でスリムで英語と酒に強い。弱いのはカラオケだけだそうだと若い社員に説明したら、佐山さんは詳しすぎて怪しいということになってしまったよ。うちの若いのはみんな冷かしがうまいからね。ところ、研修を終えたら佐世保だけれども、通勤はやはり無理だね。社が斡旋するアパートにすればいいよ。」
「なんだか出社しにくいわね。ノンべえでさえないこと、この上なしと言っておいて下さればよかったのに。今のアパートはそのまま借りておくわ。」
モーツアルトのピアノソナタが流れ始めた。三千代の気分が落ち着いてきた。周一さんの急な話しとは何だろうか。彼女の躰のことは、二人だけの世界でゆっくり話すことにしていた。
 「実はね、急な話で僕も戸惑ったのだが、今月の末から十一月の中旬までシンガポールに出張することになったよ。その後はまっすぐ長崎に帰って来ることになってはいるんだけど、それはあくまで、予定だからね。社命だから避けられなくてね。それで、一旦東京本社に引き上げて、三十一日の便で現地に飛ぶことになっているんだけど、三千代さんは十一月まで一人で頑張れるだろう。東京のこともあるが、君のことがなによりも心配でね。平和運動の件は夏にかけて、僕の替わりを務めてもらうことになると思うよ。秋本先生の指示に従ってくれればよい。
 話しは淡々と進んだ。三千代は途中から彼の話しが耳に入らなくなった。モーツアルトもすでに、耳には届かなかった。今年の一月、郷里で見た雪の日本海がどこまでも続いていった。ほの暗い証明の中で、佐山が淡々と語ったのは、彼自身の苦悩を物語っていたのであろう。レストラン”白雪”に沈黙が流れた。愛し合う二人の別れが来る。初めて出逢ってまだ一年も経っていない。十一月には再会する。三千代の感情の振幅が次第に狭まっていった。彼女はどっと溢れる涙を拭くすべを知らなかった。コーヒーを持ち上げた佐山の手元が彼女の涙の中で震えていた。

 彼女は、『それから』の『三千代』を卒業する時がやってきたことをはっきりと意識した。それは同時に彼との宿命的な出逢への試練だとも考えた。妊娠していることは誰にも言うまい、あふれる涙の中で、周一さんとの愛の証しを産もうと決心した。
「お体に気をつけて。」
「大丈夫だよ。そんなに簡単にまいる男ではないからね。実はね、うちの社運を掛けた面もあってね。かねてからの僕の経営戦略理論を、本社が採用してくれたわけで、実践してみたいという、男としての野心のようなものもあるよ。」
 静かだけれども、燃える男性だと、八月に広島で彼と結ばれる以前から感じていた。彼女はその純粋な情熱に引かれた運命的な愛を見いだした。店内の甘美なピアノソナタが再び彼女耳に流れ込んできた。秋本教授が退官記念会の時に誉めてくれたように、自分にも純粋な心があるのならば、迷うことはないのだと強く自分を納得させた。
 レストランを出た彼女と佐山は、崇福寺の三門に通じるゆるやかな坂を、三月のひんやりとした風に吹かれながら、ゆっくりと登って行った。坂の両側の家並みは、三十七年前の非人間の爪あとを免れ得て、永い歴史を示す風格をそのままに、異国情緒と和風造りの美しい落ち着いた調和を生み出して、歩く者の心を鎮めてくれる。三千代は彼の腕に、すがりつくようにして三門を潜り、第一峰門に通じている石段を辿りながら、先程、”白雪”で聴いたモーツアルトを、もう一度二人で耳にするまでの月日を数えた時、吹き降ろす風が冷たい影となって、彼女の心の奥まで忍びこむ悪寒を覚えた。それを振り払うように、二人の愛の証しをしっかりと育む決心をした。崇福寺の境内の静寂の中に、三千代は時の経つのを忘れて何時までも佇んでいた。 ? ? 
 
 
 シンガポールの佐山周一から激励の便りが届いた時には、三千代はすでに三田建設の仕事に慣れて、その英語力を発揮し始めていた。医者のいうとおりに順調にいけば、彼がシンガポールでの活躍を終えて、再び長崎の石畳を踏むまでには、おそらく長崎を離れた土地で、新しい生命の誕生を迎えている。彼女の心に惑いはなく、純粋な心は自分自身を支えていくのだと信じていた。ただ、胎児が次第に成長するのを周囲に悟られたくなかった。七月に入る前に、郷里の事情ということで会社が認めてくれるならば、十二月まで休んでもよいし、そう甘くはないだろうから、退職しようと決めていた。
 五月の中旬に入って、長崎地方にめずらし、底冷えの日が続いた。三千代は、出向先の佐世保から長崎支社へ、その冷え込みの中を、三日に一度ずつの出勤を余儀なくされる仕事を割り当てられたが、それは大して苦にはならなかった。そして長崎支社に来た日の夜は、スナックリエにも顔を出していた。
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 (九)長崎を去る

 「ママさん、すみません。本当にご迷惑をお掛けしてしまって。」
「もっと速くに考えなくてはいけなかったのよ。」
病室の白い天井を見つめる三千代の瞳に、翳りが走った。
 長崎支社に出社するのはその日が最後という夜、彼女はリエでにわかに出血して流産した。死産という方が当たっていただろう。ママのあき子がそばいたことが幸いして、三田建設に知られずにすみ、佐山も永久に知らないままであろう。あき子は丁度今の三千代の歳に自分自身が経験したようなことを、三千代がさらにみじめな形で体験したことを憐れに思った。
 あき子を慕ってこの四年間、リエに来てくれた彼女には、自分の妹に期待するように、女としての最も賢明な生き方をしてもらいたいとの思いが速くからあった。三千代のつわりには気づいていたが、まさか産む覚悟をしていようとは夢にも思わなかった。
 あき子は、彼女に女の業を説くつもりはなかったけれども、今の若い女性には奔放で無鉄砲だけでは片付けられない一面がある。知性の優っているはずの彼女も、一人の弱い存在であることをよく自覚させておこうと、あき子は自分の二十代の経験を話した。
 スリムであるが、気丈で芯のとおった女性として、三千代の周囲は彼女に一目おいてきた。男性並みのアルコールの強さも、そのように思われてきた原因の一つではあるのだが、『それから』の『三千代』からの脱皮を決意したのは、ほんの二ヶ月前のことである。その決意は、漱石の小説の結末よりも悲惨な結果を生み出した。
 あき子の体験を聞く間中、三千代は涙がこぼれ続けた。周囲の祝福を一身に集めて、安産を果たした女性の涙とは違う、せつない糸の繋がりのように湧いてきた。それはあき子に、三千代の今の不幸の原因の一つが、あき子自身にもあったのだと、つくづくと思わせる細い糸の果てしない流れであった。
 流産の夜、彼女は病室のベッドで夢を見た。夢の中で前を急いでいる佐山に追いつこうと、彼女は精一杯の努力をするが、次々と彼女の行く手に街路沿いの家屋が、瓦礫となって崩れ落ちてきた。なにか、大変な異変のまっ只中にいるとの意識が一方にあった。せめて手を引っ張ってもらおうと。の後ろ姿に向かって声の限り呼びかけるのだが、彼女の咽は板のように張り付いていた。そして最後の家の崩れと同時に、彼女の前を閃光が走った。その目の眩みから回復した時には、すでに佐山周一の姿は三千代の視界から消えていた。その夢から醒めた時、シンガポールにいる佐山のことを思った。すぐにも逢いたい衝動に駆られた。同時に、流れていった二人の愛の証しの意味を考えようとした。そして、身ごもったことを彼に伝えまいと、決心した時の感情が蘇ってきた。付き添ってくれたあき子が語ったように、女には生理的に流されてしまう宿命のようなものがあるのかもしれない。涙が次第に乾いていった。

「あら、三千代さん、やっぱり昨夜咲いたのね。二年前は確か十月の中旬だったんよ。今年はいつもより二ヶ月も速いことになるよね。ほんとにこれは、気紛れなんだから。」          
             
 
「ママさん、見事な咲き方でしたわ。」
 今日か明日の内に、これは必ず開くはずだと言って、あき子がベッドの枕元においてくれた『月下美人』の、葉状の茎からぶら下がっている卵大の蕾が、夜の八時を過ぎて、三千代の目の前でゆっくりと、その花びらを開き始めた。そして、十一時を三十分もまわった頃、純白の大輪を満開に開ききった。三千代がふと目をやった窓には、十六夜の月がかかっていた。花びらは、三時間以上にわたって常に静かに強く、甘酸っぱい芳香を放ちながら、開き続けた。その静寂が逆に、短い生命の激しさを、ひしひしと伝えてきた。その夜限りの月下美人の、純白の大輪は、三千代と佐山周一の愛を具現し、同時に、流れ去った二人の間の子どもの命の短さであったのかもしれない。
「ママさん、私は元気を回復したら、あの方に再会しないうちに長崎を離れることにしました。」
「そうね、その方が二人のためになるかもしれないわね。あなたは大学も卒業しているのだから、別の土地で立派に再出発出来るし、郷里に帰れば、お母さん達もきっとご安心よ。」
「あの方との間は、所詮交差すべきではない関係だったのに、私が一人合点で、勝手に二人の出会いは、運命的な出逢いだと信じ続けてしまったんだわ。二人の赤ちゃんもそれを拒否したのね。」
 「三千代さん、新しい道はいくらでもあるのよ。あなたは、佐山さんによって大人になれたのかもしないわね。女は挫折を常に、善い方に考えてゆくのが、幸福を掴むただ一つの生き方かもしれないわねえ。」
 三千代は、平和運動の佐山周一の心は、しっかりと受け継いでゆかなくてならないと考えた。彼女にとって、それは、生涯に二度とない運命的な愛だと思った体験の証であり、その心を忘れないことが、『それから』の『三千代』の脱皮でもあると信じた。

 
長崎を永久に離れる日の前夜、思案橋通りのスナックで、ママのあき子に合わせて初めてカラオケで歌った。
 「美千代さん、相当なものよ。カラオケにもこれからは、自信を持った方がいいわね。」それが、あき子からの、再出発の花向けの詞となった。三千代が、佐山周一の被爆体験を初めて聞いた日から、丸一年経った時であった
   
  おわり


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